2016年11月11日 (金)

タイ国王の崩御に際して

タイのプミポン国王(ラーマ9世)が1013日に崩御された。「国父」として広く国民の尊崇を得ておられた国王で、筆者のタイ人の友人たちはFacebookの写真を一斉に黒一面にして悲しみを表している。

プラユット首相は公務員に1年間の服喪を命じ、国民にもそれに準ずるように勧めている。そのため黒い衣類の売り切れが続出し、値段を2倍、3倍と吊り上げて売る商店も現れた。

政府は黒い紋章を配布して、「これを付ければ服喪の気持ちが表される」としたが、バンコクに行った友人の話だと、本来無料であるはずの紋章を有料で売る輩も現れたという。どこの国にも便乗して金儲けを考える御仁はいるようだ。

タイで国王が国民の尊敬を集めるようになったのは、実はそれほど古い時代からではない。1932年にはそれまでの絶対王政が立憲君主制となった。そもそも国王自体がアメリカやスイスに滞在してタイ国内にいないことも多く、第2次大戦後の王室の権威は必ずしも高いものではなかった。

それを一代で立て直したのがプミポン国王である。国の隅々まで、貧しい地域へも(いや、貧しい地域だからこそ)自ら足を運ばれ、貧困対策、農村開発、医療、教育などのロイヤルプロジェクトを次々と立ち上げられた。タイ政府の官僚が国王の知識に「これほど地方を知っている人はいない」と舌を巻いた話は有名だ。

1960年代からの反共政権が国家統合のシンボルとして国王を活用したこともあり、国民の国王への関心はさらに高まった。大学の卒業証書授与にも国王陛下はじめ王族の方が足を運ばれた。タイのエリートの家庭に行くと、王族から卒業証書を授与されている記念写真が必ずと言ってよいほど誇らしげに飾ってあるのはそのためだ。

1970年代から国王は政治的にも活躍されるようになった。タイ国内には経済格差や階層からくる国内対立が存在する。そのような対立に絶妙なバランサーとして尽力された。「タイのクーデターは怖くない。なぜならほとんど無血のクーデターだから。一番怖いのは国王が亡くなったXデーだ」と聞かされた在タイ日本人は多いだろう。

その「Xデー」がついに来た。タイ国民の悲しみは深い。現在のプラユット政権は20145月にクーデターで成立したが、そもそもクーデターの遠因は「Xデーを軍政下で迎えるためだ」という人もいる。この2年間、プラユット首相は今日のために周到な準備をしてきたように見受けられる。

軍内部をしっかりと抑え込み、今後最低5年間は軍の強力な関与が続けられるような新憲法も決定した。短期的にタイが混乱するとは考えにくい。

しかし、タイ人の王室への敬慕は、何よりプミポン国王への属人的なものであった。どんな英明な人物にも人間としての限界はある。「国王を中心としたデモクラシー」と憲法にも明記されたタイ独特の政治システムも、長期には変わらざるを得ないものと思われる。

(某紙に掲載したものです)

2016年7月 7日 (木)

デモクラシーの原点とは?―参議院議員選挙の前に

「デモクラシーの原点とは」(某紙に寄稿したものです)

 

東京都知事を巡る一連のドタバタを見て、「選挙でリーダーを選ぶ」というデモクラシー(日本では民主主義と訳されています)を疑わしく思っている人も多いのではないでしょうか。

デモクラシーは手続きに時間がかかるなど欠陥もあるし、必ずしも正しい判断をするとは限らないことは歴史が証明しています。辛らつに定義するならば、「デモクラシーとはイエス・キリストを磔にし、ヒトラーを生んだ政治制度のこと」でもあります。
 聖書によれば「あの人(イエス)がどんな悪いことをしたというのか」と問うローマ総督ピラトに対して、「十字架につけろ」と叫び続けた(マタイによる福音書2723)のは民衆による「民意」でした。また、ワイマール共和国という、第1次大戦後もっとも民主的な体制から、ナチス・ドイツが生まれてきたこともよく知られています。


 近い将来、さらにデモクラシーの定義に「トランプを米大統領にしたシステム」というのが付け加わるかもしれません。

大統領選当初は泡沫候補扱いだった大富豪ドナルド・トランプ氏が共和党の指名を確実にしました。過激な発言で反発が強いのはご存知の通りです。日米安保の廃棄を唱えるなど「本気か」と思う発言も少なくありませんが、民主党のヒラリー・クリントン氏の人気もいま一つで、日本に与える影響は大きい。

世界的に見ても、デモクラシーは3つのレベルで大きな曲がり角にあります。

途上国においては、選挙が行われたとしても何ら問題の解決につながらない、形式的な選挙は無意味だという「デモクレイジー」(ポール・コリアー・オックスフォード大学教授)があります。

先進国では、政治学者フランシス・フクヤマの言う「ビート(Veto:拒否権)クラシー」、つまり権力が分散して政府が重要な決定を出来ない状況にあります。投票率の低下による選挙の有効性への疑問や政治の無力化がこれに拍車をかけています。

一方で権威主義国家は、意思決定において少なくとも効率的ではありえます。ロシア、中国などこれら非民主的な国家の台頭、挑戦が3番目の問題です。

チャーチルに「選挙とはろくでもない人のなかから少しでもましな人を選び続ける忍耐そのものをいうのである。だからデモクラシーは最低の仕組みである。ただし、王政や貴族政、皇帝制など人類のこれまでの政体を除いては」という、いささか皮肉なセリフがあります。

彼のセリフは「デモクラシーとは、いろいろ問題はあるがもっとも過ちの少ない制度だ」という肯定的な解釈をされるべきであろうと思います。私たちはやはりデモクラシーを信じ、「ろくでもない人」ではなく「ましな人」を選びたい。

現状に対する「恨み」を鼓舞するような過激な発言、あるいはただ「有名だから」「テレビで見たから」という理由ではなく、「一人の人間として信頼できる」候補者を選ぶこと。デモクラシーの復活は、やはり原点回帰にあるのではないでしょうか。

2016年6月21日 (火)

国家というアイデンティティ―英国のEU離脱?

EU離脱をかけた英国国民投票の前に(某紙に寄稿したものです)

 

「あなたは誰ですか?」。そう聞かれたら何と答えますか?「私はサラリーマンです」「私は母親です」「私は関西人です」などさまざまな答えが考えられます。「私は日本人(中国人、タイ人…)です」というのも多いでしょう。

 

「自分が自分であるもの」(自己同一性)をアメリカの心理学者エリクソンはアイデンティティと名付けました。アイデンティティには職業、役割、地域や団体などがあげられます。所属している国家も国際政治的に重要なアイデンティティです。

 

623日にイギリスで「EU(欧州連合)に残留すべきか、離脱すべきか」を問う国民投票が行われます。「あなたは欧州人か」「あなたはイギリス人か」という二者択一でアイデンティティが問われるわけです。

 

島国のイギリスは大陸のヨーロッパとは一線を画してきました。EUの単一通貨ユーロではなく、ポンドを通貨として用いていますし、他の加盟国と違って国境審査も廃止していません。

 

EU加盟に伴う負担を減らし、移民の流入を制限でき、雇用の拡大やテロを防ぐことができるというのが離脱派の言い分です。一方で離脱すればロンドンの金融街シティは大打撃を受け、貿易にも悪影響が出て経済的に大きなマイナスをこうむるというのが残留派の主張。世論調査を見ても賛否は拮抗しており、最後まで読めません。

 

EUは現在28か国が加盟していますが、過去に離脱した国はありません。イギリスが離脱した場合、世界株安、相対的に安全資産とされる円への逃避(円高)など、むしろ英国以外の世界経済への影響が大きいでしょう。

 

国際政治という舞台で活躍する役者のことをアクター(行為体)といいます。国際機関、多国籍企業、NGO(非政府行為体)などさまざまなアクターが舞台に登場しますが、最も重要で数の多いアクターは、いうまでもなく主権国家です。その国家の主権の一部(関税、通貨など)を統合したのがEU(欧州連合)の試みでした。「国家」「欧州」どちらのアイデンティティが選択されるのでしょうか。

 

アメリカの国際政治学者サミュエル・ハンチントンによれば、冷戦時代は「(米ソ)どちらの味方なのか」という問いが一番重要でした。しかし冷戦後は、「われわれは何者か?」、「われわれはどこに所属しているのか」、「われわれと違うのはだれか」と言った基本的なことが問いかけられるようになったといいます。

 

612日未明、米フロリダ州オーランドで、49人が死亡、100人以上の死傷者が出る米国史上最悪の銃乱射事件が起きました。犯人はIS(いわゆるイスラム国)に忠誠を誓っていたと報道されています。米国生まれの若者が祖国で起こしたテロ事件に捜査当局もなすすべがありません。主権国家以外の存在(「想像上の国家」とでもいうのでしょうか)に帰依したアイデンティティが悲劇を巻き起こしたのです。

 

21世紀は「私は誰なのか」というアイデンティティが問われる時代です。「国家というアイデンティティ」は様々な方面から問い直されています。

 

2016年5月23日 (月)

中国の戦略、日本の無策?

(某誌に寄稿したものです)

アフリカの現在―中国の戦略・日本の無策?

 

現在、アフリカ大陸に在住する日本人は多く見て1万人以下。これに対して中国人は少なく見積もっても100万人以上と言われる。アフリカで官民ともに圧倒的なパワーで存在感を示す中国に比べ、日本の姿は悲しいほど見えてこない。街に走る車は日本車も多いが、日本のプレゼンスはほとんどない。

中部アフリカの某国を訪れると、外務省の廊下の消火栓には「北京消防」の赤い文字が躍っていた。外務省の建物は100%中国からの援助で建てられた。当然、機器の納入もすべて中国企業が行ったのであろう。

同省のアジア・オセアニア局長は、「中国はサイレントパートナー」と表現した。日本から来た我々に気を使っての発言であろう。中国は建物や道路など、「見えない」ところで支援してくれているという。

しかし中国は決して「サイレント」ではない。援助だけをみても中国政府による農業技術センターがオープンし、それ以前から稲作指導も継続的に行われている。首都には孔子学院が設立され中国語の授業中である。中国への無償留学生は年間60人以上。中国の援助で病院も建設中だ。

中国は十分に「見える」援助を行っているのである。中国の農村に滞在したことのある学生が、「中国の道路よりこちらのほうがずっといい」と笑っていたのが印象的だった。

ビジネスも拡大中だ。中国大使館前の現場では、香港企業によって140人の中国人と同数の現地人を使ってのホテル建設作業が行われていた。

もちろんこれは某国だけで起こっていることではない。アフリカ各国で同じような中国のプレゼンスがある。そこには何としても経済発展を続けねばならない中国のしたたかな戦略がある。

リーマン・ショック以後の中国による途上国融資は世界銀行のそれを上回ったとさえいう。中国のアフリカ向け輸出額は、旧宗主国のフランス、イギリスなどを既に抜いている。アフリカ開発銀行の融資に占める中国企業の受注率も4割を超える。これには、土木系のインフラ整備で、中国の農村から低賃金労働者を連れてくる中国企業が低コストで受注できてしまうという背景もある。

 

「援助はもういい。今、我が国が欲しいのは投資(investment)だ」。これは日本に駐在するアフリカの外交官からよく聞かれるセリフだ。

中国はその期待によく応えている。在アフリカの中国大使館では、中国とアフリカ諸国の関係は、「ウィン・ウィン(Win Win)」であると説明された。発展途上国である中国とアフリカは、価格やスペックの面でお互いに利益がある取引ができるという意味であろう。逆に、高価格の日本企業はいくら厳密な管理や高い品質でも引き合わないということだ。

 

中国とアフリカとの中心的な役割を担っているのが、中国アフリカ協力フォーラム(FOCACForum on China –Africa Cooperation)である。2000年に設立された同フォーラムは、3年ごとに開催されている。中国企業のアフリカ投資をサポートするための基金設立も盛り込まれている。低利融資をはじめとするアフリカの中小企業に対する中国金融機関の援助、アフリカの低開発国からの輸入品に対する関税障壁の95%に上る除去なども約束している。

 

CCTV(中国中央電視台)は2012年よりアフリカで英語によるTV放送を開始している。「本当のアフリカを伝える」「アフリカの前向きな面を報道する」とアフリカの14都市に特派員を配置、スタジオを置いたケニアのナイロビでは100人の現地スタッフを雇用した。

BBCCNNなどと並んで、自前のメディアでアフリカに進出しようとする試みである。これらを通じて「自国のことしか考えていない」といった中国に対する批判を回避し、イメージ改善を図ることが目的だ。新華社通信による現地新聞社への情報提供も行われている。

 

中国のアフリカ進出の背景には、もちろん資源獲得という目論見がある。同時に輸出先としてアフリカ市場を確保し、中国の経済成長によりアフリカの成長を達成する(あるいはアフリカの成長により中国が恩恵を受ける)という目標がある。加えて国際社会での「応援団」形成の意味もあろう。文字通り官民一体となったアフリカ進出である。

 

筆者が大学院で指導していた中国人の女子学生が、修了後帰国して結婚するという。「お相手は?」と聞くと、建設会社に勤務するビジネスマンで赴任地はナイロビとのこと。アフリカに行く中継地のドバイやカタールの空港の免税品店は、きっちりとネクタイを締めた中国人ビジネスマンで溢れている。

山崎豊子さんの小説『沈まぬ太陽』がテレビドラマ化された。巨大組織に立ち向かう主人公はアフリカに「左遷」される。しかし、いまやアフリカは左遷される僻地ではない。国際政治・経済の最前線なのだ。

良し悪しは別にして、中国は次々と布石を打っている。米国や欧米諸国も鎬を削る。何もすべて中国の「後追い」をする必要はない。8月には初めてケニアのナイロビでTICADが行われる。日本らしく、我が国の国家戦略として「アフリカに日本の本気をどう伝えるか」という大きな課題が残されているのだ。

(以上)

2016年4月12日 (火)

したたかな外交―タイの高速鉄道と中国

(某所に発表したものです)

 今年(2016年)3月末、タイの運輸大臣は中国の協力で進めていた首都バンコク~ラオス国境のノンカイまで約750キロの高速鉄道の建設につき、とりあえずバンコクから途中のナコンラチャシマ(コーラート)まで250㌔を自力で行うと発表した。中国の戦略に乗る形で進められていたプロジェクトを、タイが独自にやることに変更したのだ。

  昨年(2015年)秋に着工式が行われた中国・タイ共同による高速鉄道プロジェクトは、当初から不協和音がささやかれていた。今回の決定も「巨額の建設費の分担および借款に関する条件で一致できなかったため」とされている。一方で引き続き中国の協力を仰ぐ、と配慮も忘れない。

  バンコクの事情通の話では「最初から条件が折り合ってない」「中国が約束した利率を引き上げた」など、タイ側の不満が重なっていたとのこと。同じく中国の協力によるインドネシアの新幹線が座礁に乗り上げていることを含め、「そら見たことか」「やっぱり日本の出番だ」という声もある。
 しかし、現実には中国はタイの希望を入れて借款利率を引き下げてもいる。その上でのタイの決定だけに、「中国の横暴にタイの堪忍袋が切れた」という見方は都合がよすぎる。

  在バンコクの大使館関係者の見方はこうだ。「従来、中国は自国からラオス、マレー半島を経てシンガポールに至るルートを戦略的に重要視していた。しかし、ミャンマー政府との間で合意が交わされる見込みになったため、わざわざタイやマレーシアを経由するより、ミャンマー国内を通って東方のアンダーマン海に出るルートを選んだのだ」。
  しかしこれもアウンサン・スーチーが率いるミャンマーの政治情勢が必ずしも安定せず、インフラの整備も格段に落ちるルートにどのくらい実現性があるのか、疑問なしとしない。

  私は、「また、タイのしたたかな外交が出たな」と思っている。
 アジアで植民地化されなかったのはタイと日本だけである。日本は明治維新を成功させた後、「富国強兵」路線を取ることにより、独立を保った 一方のタイは、欧米列強と匹敵するだけの経済力、軍事力はもとより持ち合わせていない。タイが使ったのは「知恵」であった。
 最初はタイの植民地化を狙う英国とフランスのバランスを取りながら、その間で生き延びた(もちろん「タイには手を出さない」という英仏の密約もあった)。第2次大戦前になると、当時破竹の勢いであった日本の力を利用してイギリスから領土を取り戻し失地回復している。
 1942年には日本と軍事同盟を結んで英米に宣戦布告するが、同時に「自由タイ」という反日運動を米国・英国の国内で発足させて、戦争終了時にはちゃっかりと敗戦国となるのを免れている。とにかくしたたかなのだ。

  2014年5月のクーデター後、アメリカがタイへの制裁を表明すると、すぐにタイの外務次官が北京に飛んだ。「アメリカがダメなら中国の手を借りますよ」という意思表示だ。今回も中国との高速鉄道に同意しながら、日本からも協力を引き出そうとしている。

  断っておくが私はタイの姿勢を責めようというのではない。全く逆で外交とはそういうものなのだ。そのリアリズムをもっと日本を学ぶべきではないだろうか。外交とは「したたかなもの」なのだから。 (以上)

2016年4月 1日 (金)

三流学者が論文書けない言い訳とは‥【ブログ再開します!】

こんにちは、ちゃんぽんです。本当にお久しぶりです。

 先月末、ある研究会に参加しました。軽妙洒脱な研究者の発表内容も面白かったのですが、参加者に大うけしたのは「なぜ、論文を書かない学者が存在するのか」という雑談。思い当るふしのある大学研究者は、ややうつろな目で苦笑。私は「胸に突きさりました」。

いわく「三流学者が論文を書かない言い訳」

その1:★雑用が多すぎる!学務の負担が大きすぎる!★

 よく聞く言い訳ナンバーワン!もちろん事実なのですが、しかし一方で「書く人はどんなに忙しくても書いている」のも事実です(わが師匠のドクターWなど)。「雑用とは、雑用がなくても論文の書けない者に、都合の良い言い訳である」とも‥うーん、冷や汗たらり。

その2:★「授業が忙しい!学生の手がかかる‥」★

 大学の授業を取材して本を書かれたジャーナリストの日垣隆さんによれば、「エキサイティングな研究をして、わくわくするような論文を書いているからこそ、面白い授業ができるんだ」と。授業評価や、学生の人気取りに「逃げている」‥うーん、冷や汗たらりたらり。

その3:★論文より活動だ!今は書いている場合じゃない!★

 これは最近よく聞くセリフ。「論文書くより日本の政治を変えよう」「○○法案阻止のためにまずデモに参加しなければ!」。善意から出ていることも多いので一概には言えないのですが、でもどこか社会活動やボランティアに、これも「逃げている」かも。

私は「海より深く反省」です(私の海は遠浅という評判ですが‥)。
まずは「隗より始めよ」(意味の分からなかった学生さん、ちゃんと調べてね!)。
‥というわけで、身近なところでブログを再開いたします。
どうぞよろしくお願いいたします。

今日は4月1日。新しい学期のスタートです。今年も多くの出会いを楽しみに‥
いつもありがとうございます。

 

2014年3月22日 (土)

タイに参ります

甲斐です。いつもありがとうございます。

最近はFacebookばっかりで(言い訳です…(笑))すっかりブログはご無沙汰、ごめんなさい。

本年4月から、研究のためタイ王国に行くことになりました。
首都バンコクからバスで約6時間、ちょうど東京と仙台くらいの位置関係にある
コンケン大学人文社会学部に客員教授として赴任をいたします。

ゼミのほうは、スカイプとFacebookで遠隔で行うことになりますが、
さてどうなることやら…(笑)

タイにお越しの際は、ぜひご連絡ください。お待ちしております。

2013年12月17日 (火)

ルワンダに送金いたしました

本日、ささやかなクリスマスプレゼントとして、ルワンダのウムチョミザ学校に200米ドル(約2万円)を、シティバンク銀座支店よりお送りしました。大学祭の収益の一部です。

手数料が4000円+仲介の銀行(ドイッチェバンクだそうです)の中間マージンもかかるなど、いい経験になりました。これからどのような方法が良いのか、検討を重ねたいと思います。

大学祭にお越しの皆様、改めて、本当にありがとうございました。

2013年10月21日 (月)

大学祭、ありがとうございました

この10月18日から20日まで行われた拓殖大学大学祭・紅陵祭で
甲斐ゼミ企画「ルワンダの光と影」にお越しいただいた皆様、
ご繁多の中、また雨の中をわざわざお運びいただきありがとうございました。

ルワンダのウムチョミザ学校およびAVEGA(虐殺で夫を失った未亡人の会)への
寄付をお願いいたしましたところ、3日間で●1万904円●もの浄財を頂きました。
心よりのお礼とともにご報告申し上げます。
このお金は、後ほど私たちの寄付と併せて、間違いなくルワンダの皆さんに届けます。
(その際には、改めてお伝え申し上げます)

併せて開催した大津司郎さんによる講演会「私の長いアフリカへの旅」、
またゼミ生による「ルワンダカフェ」も好評でした。
駐日ルワンダ大使がお越しくださったことも大変光栄でゼミ生一同の喜びです。

改めて皆様に御礼申し上げるとともに、とりあえずのご報告といたします。
本当にありがとうございました。

2013年10月11日 (金)

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紅陵際(大学祭)10月18日(金)~20日(日)までの甲斐ゼミ主催行事です。

どうぞお越しくださいませ。

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